「また来ます」
その言葉を、帰り際に言ってもらえるときがある。
大きな声ではなく、ふとしたタイミングで、
小さく、でも確かに残る声で。
それは、店にとって何よりのごちそうみたいな言葉だ。
【言葉にしない満足感】
「料理、美味しかったです」
「居心地よかったです」
そんな感想をいただくのもうれしいけれど、
“また来る”と言ってもらえるのは、その先の信頼のような気がする。
言葉にするまでもなく、
身体が自然と「また行こう」と思える場所。
そんな風に、大晴海が誰かの中に残っていたらいいなと思う。
【気づかれないくらいの満足感を】
料理は豪華じゃなくていい。
けれど、出汁の温度は絶対に下げない。
仕入れは手を抜かない。
だし巻きは、注文されてから焼く。
おでんの大根が崩れないように、
出汁に一晩、そっと寝かせておく。
そういう、気づかれないくらいの手間が、
また来たいと思わせる空気をつくるのかもしれない。
【また来たい、と思わせてくれたのは“お客さん”かもしれない】
厨房から、ホールから、帰るお客さんを見送る。
何も言わずに会釈して帰る人。
一度だけ軽く手を上げる人。
目を合わせずに、でも確かに笑っている人。
「また来ます」
それを言ってくれるのは、お客さん自身がこの時間を大切にしてくれた証だと思っている。
だから本当は──
「また来てください」じゃなくて、
「今日、来てくれてありがとうございました」が先に出る。
【まとめ:店は、料理だけでできているわけじゃない】
湯気、灯り、気配、距離感。
それらすべてが整ったとき、
「また来ます」は生まれる。
大晴海がそういう夜を、一晩でも多くつくれるように。
一皿ずつ、一組ずつ、
今日も変わらず、静かに暖簾を出している。
天神 大晴海(たいせいかい)
派手なサービスはないけれど、
また来たいと思える時間をご用意しています。