カウンターの奥、鉄板に落とされた卵液が、ジリリと音を立てる。
「だし巻き、お願いします」
そのひと言が聞こえた瞬間から、厨房の空気が少しだけ変わる。
火の前に立つ手が、箸を構える。
鯛出汁をたっぷり含んだ卵を、静かに、しかし迷いなく巻いていく。
一皿を仕上げる時間は、およそ数分。
けれど、その数分に込められているのは、積み重ねた技と、ひとつの信念だ。
【“焼き置き”はしない】
だし巻き玉子は、注文ごとに焼く。
大晴海では、それが当たり前になっている。
理由はただひとつ。
出汁の香りと、火入れの温度。
その“瞬間の仕上がり”こそが、この料理の命だから。
柔らかすぎず、固すぎず。
箸を入れたときにふわりと広がる香りと、しっとりとした口当たり。
サイドがきれいに丸くなるように巻かれたその姿は、
見た目以上に、技の塊だ。
【出汁が語る、店の輪郭】
だし巻きに使うのは、鯛から引いた出汁。
おでんや鯛出汁うどんと同じ、“店の味の根”になる出汁だ。
だからこの一皿には、大晴海そのものが映っている。
どの料理を選んでも、どこかに出汁の記憶がある。
それが“まとまり”であり、“余韻”になる。
派手な料理ではない。
でも、通えば通うほど、頼みたくなる。
それが、いい出汁巻きのある店の証拠だ。
【何も足さない、という贅沢】
薬味は少しの大根おろしと、ほんの少しの醤油。
たいていのお客様は、それさえもあまり使わずに食べ終える。
それはきっと、出汁と卵だけで、もう十分だと感じているから。
甘すぎず、塩を立てすぎず、
静かな旨味がずっと残る。
何かを“足す”ことで完成する料理ではなく、
何も“足さない”ことで完成している一皿。
それが、大晴海のだし巻きだ。
【静かな火が灯る夜】
忙しい厨房の中で、だし巻きを焼いている時間だけは少しだけ静かになる。
それは、火を見て、手を止めず、
“焦らずに仕上げる”という緊張が張り詰めるから。
カウンター越しにその姿を見る人もいれば、
ふと香りだけを感じて「自分も頼もうかな」と思う人もいる。
店が満席でも、心のどこかで“落ち着く”空気があるのは、
きっとこの火の存在があるからだ。

天神 大晴海(たいせいかい)
鯛出汁を使った“巻きたて”のだし巻き玉子は、注文を受けてから一つずつ。
おでん、刺身と並ぶ、静かで確かな自信作です。